10月30日に父が亡くなりました。
医療事故のため、20年寝たきりの状態で、それでも忘れた日はありません。夏に胃ろうが入らなくなり、それからあちこち内臓の状態が悪くなっていきました。先週、一度大分に帰ったときに様子を見たのが私は最後です。最期は、母や妹たちがしっかり看取ってくれました。
母は病気で事務手続きができないので、妹、弟と相談しながら葬儀の準備をしていました。そのあいだにも様々なトラブルがあり、でも周りの人の励ましや、声をかけてもらったことが本当に心に沁みました。Y氏、子どもたちにもたびたび留守をお願いして、感謝しかないです。親戚の人たちもみんな心配してくれてありがとうございます。葬儀社の人もいろいろと相談に乗ってくれて、知らなかったことをたくさん教えてもらいました。
いいことばかりの20年ではなかったです。よそのおじいちゃんが運動会で張り切って写真を撮っているのを見ていると、無性に悲しい気持ちになったり、早く死んだらみんな楽になるのにと思ったり、ひどいこともいろいろ…、遺影の写真を探してても、家族写真がぜんぜんなくて(出張先で遊んでる写真は何百枚もあるのに!)イラっとしましたね…。でもまあ、それも含めて私の父だったんだと思います。
また時間がたつと、気持ちが変化していくんだろうなと想像しています。とりあえずはみんなで大分に帰って、最後のお別れをしてきます。

医療事故のため、20年寝たきりの状態で、それでも忘れた日はありません。夏に胃ろうが入らなくなり、それからあちこち内臓の状態が悪くなっていきました。先週、一度大分に帰ったときに様子を見たのが私は最後です。最期は、母や妹たちがしっかり看取ってくれました。
母は病気で事務手続きができないので、妹、弟と相談しながら葬儀の準備をしていました。そのあいだにも様々なトラブルがあり、でも周りの人の励ましや、声をかけてもらったことが本当に心に沁みました。Y氏、子どもたちにもたびたび留守をお願いして、感謝しかないです。親戚の人たちもみんな心配してくれてありがとうございます。葬儀社の人もいろいろと相談に乗ってくれて、知らなかったことをたくさん教えてもらいました。
いいことばかりの20年ではなかったです。よそのおじいちゃんが運動会で張り切って写真を撮っているのを見ていると、無性に悲しい気持ちになったり、早く死んだらみんな楽になるのにと思ったり、ひどいこともいろいろ…、遺影の写真を探してても、家族写真がぜんぜんなくて(出張先で遊んでる写真は何百枚もあるのに!)イラっとしましたね…。でもまあ、それも含めて私の父だったんだと思います。
また時間がたつと、気持ちが変化していくんだろうなと想像しています。とりあえずはみんなで大分に帰って、最後のお別れをしてきます。

コメント
コメント一覧 (2)
そんななか葬儀を終えたのは本当に大変だったね。
葬儀屋さんの優しさは私も印象的だった、尊い仕事なんだなあと昔思ったな。
お疲れ様でした。
ありがとう。お母さんの時、大変そうでしたね。
みんな通る道だというけど、やっぱりつらいです。
じっくり悲しみながら日々を送っていきますね。