
通夜、葬儀が無事終わって、東京に戻ってます。
葬式は…、予想以上に大きいものとなり、けっこう大変でした。香典が300人分。(電子マネーにしたらダメなんかー?と切実に思いました)
お花も、ものすごくたくさん。ほんとは弔問に来てくださった方に持って帰ってもらえばよかったけど、そういうのも忘れてて(すみません)。あとで、車であちこち回って届けました。
弔旗というのを届けてくれた人がいて「なんですか、チョーキって?」と驚いたり、知らないことだらけで、右往左往しているうちに終わったかんじでした。
でもたくさんの人に来てもらえて、良かったです。ありがとうございました。
妹がもう、お母さんの分まで泣いて泣いて、ぜんぶの仕事を引き受けたかんじになってました。
父が亡くなった晩に、飛行機に乗る準備をして布団に入り、たん子と話したこと。
もし、誰かが自分に100万円くれると約束してくれて、わーいと喜んだ後に「うそだよ」って言われたらガッカリするじゃない?
でもその100万円は、もともと自分の手元になかったのに、どうしてガッカリするんだろう。
プラスマイナスゼロなのに。
もともと人間はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。
それが事実でも、やっぱり大切な人がいなくなったら悲しい。
プラスマイナスゼロのはずなのに、悲しい。どうしてだろう?
答えはなかなか見つかりませんね。
コメント
コメント一覧 (4)
そこに在ったから。
100万円って言われた時点で、言われた人の心の中には100万円が存在しちゃう。
生まれてから、亡くなるまで…そこに居て、
残したモノも沢山在って…
目には見えないけど、ゼロではない。
在るんだって思う。
形がなくても大切なもの、ってたくさんあるよね。
形があるものはいつかなくなるけど…、心の中のものはずっと残るのかもしれないと思います。
無い物ほど偉大な気がします。
私の場合、父が残してくれたモノは「歩くことをいとわない」事かも…
(小さいとき、よく父と歩いた記憶があります)
こんにちは。
歩く時間は私も大事にしています^^
よい思い出があるんでしょうね。しっかり残っていますね。